真面目にサッカーを学び、習い事としてやっている子が、なかなかうまくならない理由

こんにちは、谷田部です。

今日は、

「スクールに一生懸命通っている」
「チームの練習にも真面目に参加している」
「いろいろな技術も習っている」

それなのに、なかなかサッカーがうまくならない。

そんな子についてお話ししたいと思います。

逆に、あまり真面目にサッカーをやっているようには見えないのに、なぜかサッカーがうまい子っていませんか?

遊びでやっているように見える。

ちょっとふざけているようにも見える。

それなのに、サッカーになるとそういう子の方がいろいろなことができたりする。

一方で、

ドリブルスクールに行っている。
シュートも習っている。
チーム練習にも一生懸命参加している。

それでも、なかなか実際のサッカーにつながらない。

なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。

サッカーが「単元別の習い事」になっている

最近はサッカースクールも非常に増えました。

しかも、かなり細分化されています。

ドリブル。
パス。
シュート。
守備。
フィジカル。

それぞれを専門的に学べるようになりました。

これは決して悪いことではありません。

ただ、ここに一つ大きな問題があります。

分かりやすく言えば、私立受験の算数のようなものです。

算数の応用問題というのは、一つの単元だけを一生懸命勉強しても、なかなか解けません。

いろいろな単元で覚えたことを総合的に使って、

「この問題ではこれを使う」

「ここでは、あの考え方とこれを組み合わせる」

と考えながら解いていきます。

サッカーもまったく同じです。

試合は、

「ここからドリブルの時間です」
「次はパスです」
「ここからシュートです」

とは進んでくれません。

ドリブルした次の瞬間にパスが必要になる。

パスを受けた瞬間には相手が来る。

相手をかわしたら、そのままシュートになるかもしれない。

守備から一瞬で攻撃になる。

全部がつながっています。

ところが、

ドリブルはドリブル。
パスはパス。
シュートはシュート。
守備は守備。

と、単元ごとに細分化して習い続けると、それらをつなぐ「応用」の部分でギクシャクしてしまうことがあります。

「試合のどこで使うのか」が抜けている

もちろん、

「試合でここができなかった」
「だから、この技術を身につけたい」

と自分の課題が分かっている子なら、専門的な練習は非常に効果があります。

応用問題で分からなかったところから、自分に必要な単元へ戻って勉強するのと同じです。

問題なのは、全体像がないまま、ただ習い事として単元を増やしていくことです。

自分がなぜこの練習をしているのか。

試合のどこで使うのか。

どういう状況なら使わないのか。

そこがないまま、

「今日はドリブルを習った」
「今日はシュートを習った」

と技術だけが増えていく。

すると、一生懸命やっているのに実用性がない、再現性がないということが起きてきます。

これが、

「こんなに真面目にサッカーを習っているのに、なぜなかなかうまくならないんだろう?」

という疑問の一つの答えです。

では、なぜ遊びでサッカーをやっているような子の方が、実際のサッカーではうまかったりするのか。

そして、真面目にたくさんの技術を習っている子ほど陥りやすい問題とは何なのか。

ここからは、その中身をもう少し深く掘っていきます。

 

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ピースをたくさん持っていても、作品は作れない

私はこれをレゴブロックに例えることがあります。

近くのスクールにたくさん通わせる。

ドリブルも習わせる。
シュートも習わせる。
パスも習わせる。
フィジカルもやらせる。

そういう子は、たくさんのピースを持っています。

でも、そのピースをどう組み合わせて一つの作品を作るのかが分からない。

これでは、ピースを100個、200個と増やしても作品にはなりません。

むしろ、

「もっとピースが必要なんじゃないか」

と思って、さらに別のスクールへ行く。

すると、技術を身につけることそのものが目的になっていきます。

私はこれを「スキルコレクション」のような状態だと思っています。

もっと言えば、スキルマニアです。

技術は知っている。

練習ではできる。

でも、試合の流れの中にそれを乗せられない。

ドリブルからパス。

ドリブルからシュート。

守備から攻撃。

一つ一つは習っているのに、つないだ途端にうまくいかなくなる。

サッカーで本当に必要なのは、技術の数ではありません。

必要な瞬間に、必要なものを使えることです。

遊びでやっている子が伸びる理由

逆に、それほど多くの技術を持っていなくても、

「勝ちたい」
「点を取りたい」
「相手を抜きたい」
「ボールを取りたい」

と、がむしゃらにサッカーをやっている子がいます。

こういう子の方が、最終的に伸びていくことがあります。

なぜなら、必要な技術から身につけていくからです。

ゲームという全体像が先にあるんです。

「点を取りたい。でも、これができない」

だから練習する。

「相手に取られた。じゃあ次はこうしてみよう」

だから工夫する。

技術を覚えてから使い道を探すのではありません。

やりたいことが先にあって、そのために必要な技術を手に入れる。

この順番の違いは非常に大きいです。

サッカー界で言う「真面目」は、必ずしも褒め言葉ではない

サッカー界では、ときどき、

「あいつは真面目だからな」

という言い方をします。

これは必ずしも褒め言葉ではありません。

むしろ皮肉として、

「融通が利かない」
「応用が利かない」

という意味で使われることがあります。

これは社会でも似たような使い方があると思います。

もちろん、一生懸命取り組むこと自体が悪いわけではありません。

問題なのは、教わったことを教わった通りにしかできないことです。

サッカーでは状況が常に変わります。

相手も変わる。
味方も変わる。
スペースも変わる。
ボールの位置も変わる。

そこで、

「コーチにこう言われたから、絶対にこうする」

では対応できません。

今はこれを使う。

今は使わない。

ここでは組み合わせる。

ここでは崩す。

場合によっては、せっかく習ったものでも使わない。

この融通が非常に重要です。

「しめしめ」と悪だくみできる子

遊びの中でサッカーをやってきた子は、こういうことを自然にやっています。

「しめしめ、あそこ空いてるぞ」

「相手、こっち見てないな」

「こっちに行くと思わせて、逆に行ってやろう」

こういう悪だくみです。

私は、この感覚は非常に重要だと思っています。

教科書で習ったことを実生活の中で、

「あ、こことここってつながってるんだ」

と発見するのと同じです。

サッカーでも、

「この前やった練習、ここで使えるじゃん」

と自分でリンクさせる。

それができる子にとって、練習は単なる単元ではありません。

遊びのための道具になります。

今、本当に必要なのは「悪ガキ」を出せる場所

今の子どもたちに本当に必要なのは、もしかすると「悪ガキ」を出せる場所なのかもしれません。

もちろん、人に迷惑をかけたり、何でもルールを破ったりするという意味ではありません。

サッカーの中での「悪ガキ」です。

子どもらしい子どもというのは、遊びの中で自然と悪ガキの部分を発揮できます。

普段の生活ではやってはいけないことでも、

「これは遊びだからやっていい」

ということを理解しています。

相手を騙す。

裏をかく。

フェイントをかける。

相手が嫌がるところを狙う。

サッカーというゲームのルールの中なら、相手を出し抜くことは悪いことではありません。

むしろ、それが面白さです。

本来サッカーは、先生から正解を教えてもらい、その通りに再現する競技ではありません。

相手がいて、その相手がこちらのやりたいことを邪魔してくる。

だったら、どうする?

どう騙す?

どう出し抜く?

どう裏をかく?

その場で考える。

ここに遊びがあります。

サッカーまで「いい子」でいる必要はない

ところが、サッカーまで完全に「習い事」にしてしまうと、

コーチの言う通りにやる。

教わった手順を守る。

正解を待つ。

失敗しないようにする。

こうなりやすい。

これでは、せっかく子どもが本来持っている「悪ガキ」の部分まで消してしまいます。

普段の生活では先生や親の言うことを聞く。

ルールを守る。

それはもちろん必要です。

でも、サッカーの中までずっと「いい子」でいる必要はありません。

ピッチに入ったら、自分で考える。

相手の裏をかく。

「やってやろう」と考える。

教えられていないことも試してみる。

そういう部分があっていい。

「適度にふざけられる」という力

そして私は、

「適度にふざけることができる」

というのも、生きていく上で非常に重要な力だと思っています。

ずっと言われた通りにやる。

ずっと正解を探す。

ずっと失敗しないようにする。

それだけでは、社会に出てからもどこかで苦しくなると思います。

大切なのは、

真面目にやるところでは真面目にやる。

でも、

「ここはちょっと遊んでも大丈夫だな」

「ここは少し崩しても大丈夫だな」

「こうやったら面白いんじゃないか」

という加減が分かることです。

ただふざけるのではありません。

「適度にふざけられる」。

これも融通が利くということです。

サッカーでも同じです。

言われたことを100%そのまま再現するのではなく、そこに自分なりの遊びを入れる。

相手を騙してみる。

あえて逆をやってみる。

誰も考えていないことを試してみる。

そして、

「これはやりすぎたな」

「これはうまくいったな」

ということまで経験する。

その加減を自分で覚えていく。

子どもは本来、こうしたことが得意です。

だからこそ、今求められているのは、子どもをもっと真面目にさせることだけではなく、安心して「悪ガキ」になれる場所を作ることなのかもしれません。

サッカーは「生きる力」の延長にある

ここまで来ると、サッカーというものは単なる技術習得だけではないことが分かると思います。

遊びがうまい。

人との関わり方がうまい。

状況を見ることができる。

自分の立ち位置を見つけられる。

年上とどう関わるのか。

自分よりできる人とどう関わるのか。

自分よりできない人とどう関わるのか。

集団の中で自分のポジションをどう取るのか。

できる人からどうやって盗むのか。

何かを身につけるために、どう工夫するのか。

こうしたものは全部つながっています。

私はこれを「生きる力」だと思っています。

サッカーというスキルだけを切り離して考えることはできません。

技術。

コミュニケーション。

観察。

判断。

遊び。

発想。

人との関係。

全部が横につながっています。

サッカーも、生活の中で身につけていく「生きる力」の延長線上にあるんです。

だから実は、

「親御さん自身が、サッカーがうまくなるということをどう考えているのか」

というところまで関係してきます。

教えているコーチ自身は、自然にできていたことが多い

ここでもう一つ難しい問題があります。

サッカーを教えているコーチたち自身が、こうしたことを遊びの中で自然に身につけてきたケースが非常に多いということです。

本人は自然にできてしまった。

だから、

「なぜ、この子にはできないのか」

という本当の原因が分からないことがあります。

自分が自然に身につけたものだから、できない側がどこで引っかかっているのかが分からない。

その結果、

ドリブルをもっとやろう。

パスをもっとやろう。

シュートをもっとやろう。

と、さらに細分化して教えてしまう。

でも、本当に足りないのは、その技術ではないかもしれません。

足りないのは、それらをどうつなげるのかという全体像かもしれない。

あるいは、もっと根本にある「遊び」そのものかもしれない。

ここを見ないまま技術だけを追加していくと、さらにピースだけが増えていきます。

「習わせているのにうまくならない」を放置しない

もちろん、サッカーを習い事として習わせること自体はいいと思います。

ただ、

「これだけ習わせているのに、うまくならない」

という状態をそのままにしてしまうのは、私は少し無責任だと思っています。

そこで、

もっとスクールを増やそう。

もっと技術を習わせよう。

もっと練習させよう。

となりがちです。

でも、本当に必要なのは逆かもしれません。

一度、遊びに戻す。

全体像に戻す。

そして、余計なものをそぎ落とす。

その子が今、本当に必要としているものだけに整えていく。

実際の試合で本当に使うものなんて、ごくごく一部です。

今の子どもたちは「増やす」より「減らす」

今の小学生、中学生に必要なのは、

「何を増やすのか」

だけではありません。

むしろ、

「何をやらないのか」

「何を減らすのか」

こちらの方が大事なケースが非常に多いです。

技術を10個増やすより、今持っているものの中から、本当に使える2つ、3つを選ぶ。

余計なものをそぎ落とす。

そして、それを実際のゲームの中で使える状態にする。

必要なものと不要なものは、その子によって違います。

同じ学年でも違います。

同じポジションでも違います。

今まで何を習ってきたかによっても違います。

だから、本来は一人ひとりを見て、

何が必要なのか。

何が邪魔をしているのか。

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