才能には「見えている才能」「掘り起こされる才能」
というものがあると思います。
「見えている才能」というのは文字通り今現在認識できている才能やセンスの事です。
そしてもう一種類が
「掘り起こされる才能」これは継続していく中で後天的に作られていく、
または元々あった才能を掘り起こすピース自体を後天的に作ったことで発揮することが出来た才能
とでも言えば分ってもらえるでしょうか。
いうなれば誰しもが人と違う≪個性≫を持ち合わせています。
その個性を活かしきるためのピースを今現在持っているかいないのか。
これが今現在サッカーに発揮できているかどうかでも変わってきます。
継続で掘り起こされる才能は、無限
サッカーに限らず、正しく継続し努力をしていくこと。
これには今現在出来ないことでも身に着けていくことで、見えない何かが見えてきます。
その可能性は無限です。
そうした自分の中の可能性を掘り起こしていく。
そのためのツールや方法を知らない。という状態のお子さんが多すぎます。
可能性を開く前の段階で辞めてしまう子も多い
今回の上記の画像ですが
サッカーの可能性を切り開く前の技術的な段階。やゲームで上手くなる前の段階で
周囲との兼ね合いなどで辞めてしまう子が数多く存在します。
誰もが最初からサッカーが上手い。というのはありえません。
可能性を掘り起こす段階なんて・・・
という方にこそサッカー家庭教師の個人レッスンを試してほしいのです。
一気に可能性を模索できるレベルにまで持っていきます。
つまらない基礎レベルを一気に身に着けることで
「楽しみ」が詰まっているアイデアを出し表現する。
のレベルへステップアップさせます。
自分自身の可能性を模索出来る段階は楽しい
自分自身の可能性を模索し、自分自身と対話してプレーしていくというのは非常に楽しいものです。
サッカーが下手で辞めてしまう子というのは、本当の楽しい部分に触れてみてから辞めてほしい。
これはサッカーに限らずです。
何かを始めるからには楽しくない段階は必ずしもあります。
向き不向きというのはやっていく中でわかるものです。
そしてそれは正しく学んでいるかも非常に大切です。
だからこそ
サッカーが向いていない。という判断は私のレッスンを受けてからにしてほしい。
本当にそれだけです。
自分自身の可能性を探れるようになる。
そんな貴重な体験をこの夏休みでしてみませんか?
まずはご相談お待ちしております。
谷田部
補足:2023.7.10
埋もれる才能に出会えるかどうか。
サッカーだけでなく、何かを開花させようとする限りいくつになろうが付きまとう課題な気がします。
何かを得ようとすると、楽しいことばかりではありませんが、何かしらの継続というものが求められます。
退屈に感じたり苦しいときがあってもそれを継続した先に何かしら得るものがあります。
どのタイミングで辞めても私の中では完全に撤退さえしなければ、、
足を止めることがあっても再び歩き出すための休憩であればその何かしらを得るための可能性はなくならないと思っています。
一番最悪なのは完全撤退。一度仮にあきらめたとしても再びどこかで戻ってきてくれる余地、または再開があれば可能性はあります。
完全に諦めて違う道へ、、、、というのが残念でならないのです。
一度でも歩みを始めたら、今現在いい思いをしていない場合、何か裏技を使ってでも
谷田部を使ってでもいい思いをしてほしいと思っています。
ただただの完全撤退が一番自己肯定感や自信を失います。
本当に諦めようか、辞めようか。と思った時にこそ谷田部を頼ってほしい。というのはそうした思いから来ています。
谷田部の個人レッスンは奇跡のような劇的な改善を数多く起こし続けています。
本当に何をしてもだめかもしれない。と思ったら最後の砦としてぜひ頼ってほしいと思います。